こんにちは、Tomoです(^^)
今日も「Tomo’s Walking Discovery」にお越しいただき、誠にありがとうございます(^^)
今回は、1978年の衝撃的なデビューから、解散した後も色褪せないYMOこと 「イエロー・マジック・オーケストラ」についてお伝えします。
1978年…歌謡曲の全盛期、ピンクレディーが「UFO」でレコード大賞を受賞した年、当時は山口百恵、沢田研二などが活躍していて、松山千春、サザンがデビューした頃になります。
そんな時代に、YMO (イエロー・マジック・オーケストラ)は誕生しました!
YMOは、今や日本音楽界の大御所、細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一の3名で組んだ結成したユニットです。
当時は、洋楽に比べると邦楽は「音」が悪く、音を楽しむ者達にとっては、邦楽はどこか物足りないものがありました。
この頃は、片方のイヤホンを耳に刺しながら、ステレオではなく、モノラルで音楽やラジオを聴いていた時代です。
当時、YMOのシンセサイザーが奏でる、今まで聴いたことのないような奥行きの深いテクノサウンドを、ウォークマンからステレオ音声で聴いたときの衝撃的は今でも忘れられません!
「YMO」は平成生まれの人にとっては、聴いた事もない単語かもしれませんね。
どれだけ凄いアーティストだったのかは、調べるとたくさん出ているので、ここでは、ちょっと普通とは違ったミーハー的な視点でお伝えしたいと思います!
目次
YMOの凄さとは?
まずは、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の簡単なプロフィールです。
◆メンバー
細野晴臣 (ベース)
高橋幸宏 (ヴォーカル、ドラムス)
坂本龍一 (キーボード)
◆活動期間
1978年 – 1983年
1993年
2007年 –
YMOはおじさん3名の集まりで、アイドルのように若くてイケメンなわけでもなく、ダンスをするわけでもありません。
なのに、なぜこんなに流行ったのでしょうか?
世界に認められたのが凄い!
この当時で、世界に認められるほどのアーティストであったことが凄いことと思います!
YMOの音楽は、1978年のデビュー後、日本よりも先に世界で認められて、すぐさま、海外ツアー敢行し、海外での評価を得てから、日本に逆輸入された感じです。
世界に認められた分かりやすい簡単なエビソードをいくつかご紹介します。
1980年にリリースしたアルバム「増殖」にある「ナイス・エイジ」は、ビートルズのポール・マッカートニーとセッションするはずだったのですが、
来日したポールが、大麻不法所持で逮捕勾留されたため、セッションできなくなったエピソードもあるほど。
さらに、あのマイケル・ジャクソンが、YMOの「Bind the Mask」をカヴァーしています。
この曲は「Thriller」への収録が計画されていましたが、結局は実現せず、未発表曲を集めたアルバム「MICHAEL」に収録されています。
これで、世界にYMOが認められている事が分かりますよね!
高い音楽性が凄い!代表曲も紹介!
YMOの音楽の凄さは、天才3人が作った音楽性の高さです。
リーダーでありベースの細野晴臣は、伝説のバンド「はっぴいえんど」を経て、ミュージシャン、作曲家、プロデューサーとして日本のロックとポップスの歴史を作り上げてきた、いわば、日本ニューミュージック界のドン。
ドラムとボーカルを担当の高橋幸宏は、「サディスティック・ミカ・バンド」で海外遠征も経験していた天才ドラマー&デザイナー。
キーボードの坂本龍一は、東京芸術大学修士課程を修了し、ミュージシャンの間では「教授」と呼ばれ、後に「ラスト・エンペラー」で、グラミー賞を受賞したアーティスト。
この3名が一緒に組むこと自体が奇跡なのですが、この3名がコンピューター、シンセサイザーといった最新のテクノロジーを使って、黄色人種特有の新たな音楽、まさに”イエロー・マジック”たるものを世に知らしめました。
今の人が聞いても「未来の曲」といった感じで、当時に演歌や歌謡曲が全盛だった頃に出来上がった曲とは思えません。
このような曲が、昭和時代に流行っていて、今のおじさん達が聞いていたなんて、不思議な感じがするかもしれませんね(^^)
YMOの音楽は、現代のJ-POPの原点にもなっており、ここから、シンセサイザーを生かした、電気グルーヴや、小室哲哉の音楽に繋がっていると思います。
それでは、いくつかの一度は聞いた事があるであろうYMOの曲を紹介します。
以下の曲はいずれもYMO初期の頃の曲ですが、この初期とは異なる様々なジャンルや音のアルバムをたくさん発表していすので、興味を持たれたら、是非、そちらも聞いていただきたいと思います!
僕は個人的には、この初期よりも、中期、後期の曲の方が、好きです(^^)
RYDEEN
高橋幸宏さんが作曲した代表曲で、この曲が一番有名かもしれません。
Technopolis
坂本龍一さんの作曲で、近未来的なイメージで、曲名と音楽がマッチした曲です。
にわかに東京五輪2020のテーマ曲に!とも騒がれている曲です。
Behind the Mask
先程説明した、マイケル・ジャクソンがカヴァーした原曲で、坂本龍一さんの作曲です。
社会現象となったYMOファッション
デビューの1978年から1983年までの6年間は、まさに日本の流行の最先端をいっていました。
当時流行った「テクノカット(揉み上げを剃った)」も、まさにYMOが流行らせたヘアスタイルです。
当時の若者達の間では、揉み上げを剃るのが、当たり前の普通の髪型だと思っていましたから…
もちろん、僕も自然と当たり前のように、テクノカットでしたね(^^)
中学校に行く時の白い肩掛けカバンへのマジックでの落書きも、僕の友達は皆「Yellow Magic Orchestra」でしたからね!
上のジャケットをみても分かるように、
中国の人民服のような独特なファッションは、世界の心をつかみました。
YMOのメンバー紹介
ここでは、あまり細かいプロフィールには触れず、ミーハー的にメンバーの凄さを紹介しますね(^^)
細野晴臣
YMOのリーダーであり、日本音楽界のドンです。
細野さんがいた伝説のバンド「はっぴいえんど」は細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂といった全く隙のない日本音楽界を支えたツワモノばかり。
細野さんが作曲した有名な曲はといえば、
松田聖子の「天国のキッス」「ガラスの林檎」「ピンクのモーツァルト」、
中森明菜の「禁区」、
イモ欽トリオの「ハイスクールララバイ」、
安田成美の「風の谷のナウシカ」、
山下久美子の「赤道小町ドキッ」
などなど・・・
細野さんは、YMOでの評価や、その後のソロ活動で、2010年頃から頻繁に海外メディアでも広く知られる存在となり、活動範囲は広がっていく一方です。
高橋幸宏
YMO以外ではあまり大きな目立つ活動はしていませんが、
知る人ぞ知る、1970年代にイギリスに進出した伝説バンド「サディスティック・ミカ・バンド」の一員でした。
このバンドには、あのギターインストルメンタルの高中正義もいたバンドです。
幸宏さんは音楽に留まらず、ファッションデザイナー、文筆家としての顔も持っています。
しかし、特筆すべきは、やはり、日本一のドラマーの1人と呼ばれるほどのドラムテクニックです。
幸宏さんのドラムの一番の特徴は、正確無比の厳格なリズム取りで、プロでも機械のドラムと勘違いしてしまう程の正確さなんだそうです。
坂本龍一
「戦場のメリークリスマス」「ラストエンペラー」など、数々の世界的なヒット曲を生み出しているのは、あまりにも有名で、そのような紹介はここでは控えますが、意外な一面をご紹介します。
シンディ・ローパーのアルバム「Shine」に収録している「Eventually」は坂本さんの作曲です。
欽ちゃんファミリーのわらべの代表曲、「めだかの兄妹」も坂本さんの作曲。
あと、今は亡き忌野清志郎さんとデュオを組んでいたこともあります。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今の若い人たちには、あまり目新しいものがなく、YMOの凄さがうまく伝わっているのか不安な部分もありますが、少しでもYMOに興味をもって頂けたらと思います。
今でも3人は現役バリバリですので、またYMOとしてのアルバム発表を期待したいところです!
それでは、最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました!