こんにちは、Tomoです(^^)
今日も「Tomo’s Walking Discovery」にお越しいただき、誠にありがとうございます!
2PMや、TWICEなどのBIGアーティストを育てた世界的音楽プロデューサーのJ.Y.Parkことパク・ジニョンさん。
K-POP業界で「3大事務所」とされているSM、YG、JYPのエンターテインメントのうち、JYPエンターテインメントの創設者でもあるJ.Y.Parkは、韓国芸能界で1番の資産家といわれています。
そこで、J.Y.Parkがここまで登り詰めた経歴、ついでに学歴などについても辿って、彼のサクセスストーリーを眺めてみたいと思います!
目次
J.Y.Parkのプロフィール
こちらがJ.P.Parkの簡単なプロフィールです。
- 名前:パク・ジニョン(J.Y. Park)
- 愛称:餅ゴリ(餅が大好きなゴリラという意味(^^))
- 生年月日:1972年1月13日([birth day=”19720113″]歳)
- 血液型:AB型
- 身長:182cm
- 出身地:韓国 ソウル市
- 学歴:延世大学校地質学科卒業 延世大学校大学院政治外交学科修士課程中退
- K-POP、R&B
- 職業:シンガーソングライター、音楽プロデューサー
- 所属:JYPエンターテインメント
J.Y.Parkの幼少時代・学歴!
J.Y.Parkは、韓国ソウル特別市で生まれます。
お母さんによれば、小さい頃はいたずらっ子で好奇心旺盛な子だったそうです。
好奇心旺盛というのは、才能を開花する人の共通点だと思うのですが、J.Y.Parkも例外ではないですね。
ピアノもお姉さんが習うときに一緒に習っていて、音楽観も養われています。
お父さんの仕事の関係で小学1年生の時に渡米し、2年半ニューヨークで生活をしていたときに、マイケル・ジャクソンを知り、R&Bに魅了されて音楽にハマっていきます。
この当時からダンスにも目覚め、アメリカ人相手にダンスバトルで優勝したことも。
また成績も優秀で、自分の年の上の学年に行くよう先生から薦められたのだとか。
もともと好奇心があった上に、才能もあれば、どんどん伸びていきますよね。
この2年半の間で培った英語力も、韓国に戻れば普通なら忘れてしまいますが、アメリカの音楽・テレビ・ラジオに触れて、英語力をキープしたそうです。
本人のアメリカ音楽に対する好奇心と相まって、きっとご両親の教育方針も素晴らしかったのだと思います!
こちらの画像は、中学の卒業写真と、当時の生活記録簿が公開されています。
平均94点、クラスで2番、学年でも936人中26番などなど、優れた成績で、学校の先生たちも「パク・チニョンは学生時代模範生だった」と振り返っています。
高校生の頃、サザンの桑田さんが組んだバンド、KUWATA BANDの名曲「スキップビート」を聴きアジア人でも黒人音楽ができると衝撃を受けたそうです。
当時、韓国では日本の文化芸能を取り入れることが法律で禁止されていて、日本の音楽を聴くことが出来なかったのですが、闇市からこっそり日本の音楽を手に入れていたそうですからすごいですよね。
高校時代は、生徒会長を務め、当時からリーダシップを発揮していました。
当時は、音楽の世界に足を踏み入れることは考えおらず、教えるのが好きで先生になるのが夢だったそうです。
リーダーシップがあって、人に教えるのが好きというところ、今のJ.P.Parkの職業に繋がっていますよね(^^)
J.Parkは名門大学出身の高学歴!
J.Y.Parkは子供のころから学校の成績がよかったことは、先述していますが、
大学は名門延世大学に進み、地質学を学んでいます。
大学卒業後は、大学院に進み、地質額でなく、今度は政治学を学んでいました。
延世大学といえば、高麗大学と並ぶ韓国の私立大学の2トップ名門校。
日本でいう早稲田・慶應といった感じですね。
韓国といえば受験戦争が盛んな国で、メガネをかけているお坊ちゃまが頑張っているイメージがありますが、その中でトップ校に合格するなんて、本当にすごいです(^^)
Niziプロジェクトをみていると、英語、日本語も堪能ですし、いろいろと普段から勉強しているのだと思います。
やはり才能ある人は努力もすごい!こういうところで凡人とどんどん差が開いていくんだな~としみじみ思いますね…
J.Y.Parkの経歴~デビューからの苦難の時代!
大学卒業後、歌手になることを決意したのですが、今や韓国の音楽界トップのJ.Y.Parkも簡単には成功の道には進めませんでした。
1992年に、グループ「パク・ジニョンと新世代」で歌手デビューしましたが、全くヒット作もでず、低迷のときを過ごしていました。
この頃、ディスコで踊っていた時に、あの韓国の代表的な歌手、キム・ゴンモのマネージャにスカウトされ、キム・ゴンモのバックダンサーもしていたときもありました。
トップ歌手のバックダンサーにスカウトされるんですから、ディスコでとても目立っていたんでしょうね(^^)
このような低迷時期に、当時最高の人気作曲家キム・ヒョンソクと知り合い、弟子入りしたことから、彼の人生が少しずつ開けてきます。
キム・ヒョンソクの家に転がり込んで、2年半もの間、キム・ヒョンソクから作曲や音楽理論を学んだそうです。
キム・ヒョンソクさんもJ.Y.Parkさんは意気投合したんでしょうね、全くお金を取ることもなく、何でも全てを教えてくれたそうですよ(^^)
ここでJ.Y.Parkのプロデューサーとしての素地が出来上がったといっても過言ではないでしょう!
作曲ノウハウを会得したJ.Y.Park、自身で作曲した「Don’t leave me」を引っ提げて、多くのオーディションを受けましたが、受けたオーディションはことごとく落選という苦い経験をしているんですよね。
J.Y.Parkがオーディションにことごとく落選した理由は、「ルックスがよくないこと」。
SMエンターテインメントのオーディションのときは、曲もダンスも歌もいいけど、顔がダメとはっきりいわれてしまったそうです。
SMエンターテインメントの社長から、「歌だけ売ってくれないか?」という有名なエピソードもあります。
J.Y.Parkの経歴~成功への道のり!
ことごとく、オーディションに落選し続けていたP.Y.Parkですが、出来たばかりの新しい会社から声がかかり、1994年に今度はソロ歌手として、デビューを果たすこととなります。
曲は、SMエンターテインメントの社長からも売って欲しいといわれた「Don’t leave me」をダンス風に編曲しました。
この曲は、国民的俳優のチョン・ウソンさん出演のガムのCMで使われて話題になりました。
ここでJ.Y.Park自身がテレビで話した面白いエピソードがあるのですが、当時チョン・ウソンさんは走り出したばかりの新人だった為、CMにはチョン・ウソンさんの名前でなく、CM曲の歌手としてパク・ジニョンの名前が表記されていました。
このことで、画面に出ているイケメン俳優(実はチョン・ウソン)=パク・ジニョンという構図が勝手に出来上がり、
「パク・ジニョンは超イケメン」という噂が立ってしまったそうです。
このような状況の中、テレビ番組に本人が出演することになり、あのイケメンがCM曲を歌うと思っていた視聴者が衝撃的なダメージを受けたことはいうまでもありません(^^)
ですが、これでだいぶ世間に知られることになったのでしょうね!(^^)
当時としては真新しいメディア戦略やセクシャルな衣装とダンスで注目を集め、次々とヒット曲を連発し、成功の座を射止めることができたのです!
このビニールパンツは、J.Y.Parkのトレードマークでしたし、
かつての奇抜なテクノ的なK-POPのイメージは、J.Y.Parkが作りあげたんですよね!
その後、1997年にJYPエンターテインメントの前身となる「テホン企画」を自身で立ち上げ、プロジューサーとしての地位も確立していきます。
1999年に、今や国民的グループまで成長した男性アイドルグループ「God」がデビューしましたが、こちらはJ.Y.Parkプロデュース!
2001年には、会社名を今の「JYPエンターテインメント」に変更。
2002年に、世界的に有名なアーティストとなったピ(RAIN)を誕生させています!
2003年は、アメリカに進出し、ロサンゼルスを拠点に活動を開始し、ラッパーのメイスに曲を提供、R&B歌手のキャシーやウィル・スミスのプロデュースも手掛けて、世界でも実績を築いていきます。
日本でも活動し、AIやSMAPとのコラボも実現していますよね(^^)
その後は、皆さんも知る通り、Wonder girls、2PM、MissA、GOT7、TWICE、StrayKids、ITZYといったBIGなグループを次々とプロデュース。
日本でいえば、90年代の小室哲哉さんのような感じで、街中でJ.Y.Parkの音楽が流れているといった感じです。
まさに韓国では「韓国の小室哲哉」ともいわれているようですよ(^^)
2012年~2014年は3年連続して、音楽著作権の収入が1位となり、かつての師匠キム・ヒョンソク氏を乗り越えました。
キム・ヒョンソク氏もインタビューで、「いつか自分が1位でなくなる日がくると思っていたが、それがおまえでうれしい!」と祝福。
素晴らしい師弟関係ですよね(^^)
2011年にはあのヨン様ことぺ・ヨンジュン氏が久々にドラマ出演するということで話題になったプロダンサーを目指す若者達の青春を描くドラマ「ドリーム・ハイ」にJ.Y.Parkも出演していて、そのときに僕も初めてJ.Y.Parkを知ったんですけど、ここまで偉大な人だとはそのときは露知らず。
このドラマに、2PMのウヨンとテギョンが出演していて、日本でも話題になりました。
このドラマ次の年には「ドリーム・ハイ2」も出て、ここでもJ.Y.Parkが出演してましたね。
今や、歴史あるSM、YGと肩を並べる、韓国3大エンターテインメントといわれていて、その中でも一番勢いあるのがJYPです。
見てください!これがJYPエンターテインメントの本社ビルですが、もう韓国ドラマでよく御曹司や令嬢が颯爽と通うビルのような立派なビル。
たった一代でここまで登り詰めるJ.Y.Parkは本当に偉大な方ですよね(^^)
その後も、J.Y.Parkの勢いは衰えず、2019年から日本のソニーミュージックと共同でオーディション企画「Niziプロジェクト」を行っていて、日本人のスーパースターを育成中です!(^^)
J.Y.Parkは整形していないの?
韓国といえば、もはや整形は当たり前の国。
J.Y.Parkは顔さえよければ、こんなに苦労することなく、もっとたやすく今の地位を手に入れたことができたと思うのですが、本人も気にして少しでもどこか整形しているはないかと思ったりする人もいるのではないかと思いますが、実際のところどうなんでしょう?
あるトーク番組に主演したとき、「整形したいと思ったことはないか?」と聞かれ、
「自分の確率のないところには投資はしない!」とキッパリと答えたそうです。
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確かに小さい頃の写真、中学の卒業写真をみても、今と本当に変わりないですし、整形は本当にしていないと思いますが、
ルックスというハンデを乗り越えての今の地位を築き上げたその実力と自信からでた、まさに成功者としての発言だと思います!
また、このような割り切った考え方は、まさに経営者向きといえますよね!
まとめ
いかがでしたか?
簡単ですが、J.Y.Parkこと、パク・ジニョン氏の経歴・足跡について辿ってみましたが、
整形が当たり前の韓国のエンターテインメントの世界で、整形もせず、ダンス、歌、曲の超一流の才能でここまで登り詰めた、まさに自らの実力で勝ち取ったこのサクセスストーリーは、我々凡人にも希望と勇気を与えてくれます。
これからも頑張る若者達の扉を開く先導役として、J.Y.Parkにはエンターテインメント界で輝いてほしいと思います。
それでは、最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました!