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勝手にシンドバッドは志村けんのネタ!ドリフと桑田佳祐の関係は?

 
こんにちは、Tomoです(^^)

今日も「Tomo’s Walking Discovery」にお越しいただき、誠にありがとうございます!

2020年4月4日、サザンオールスターズの桑田佳祐さんが、TOKYO FM「桑田佳祐のやさしい夜遊び」で、コロナウイルス肺炎のため亡くなったザ・ドリフターズ志村けんさん(享年70)を追悼しました。

その中で、サザンの78年のデビュー曲「勝手にシンドバッド」のタイトルは、志村さんが「8時だョ!全員集合」披露したコントネタのパクりであることを告白しましたが、この話は以前からも知られる有名な話。

実は桑田佳祐さんとドリフターズの間には、深い繋がり・絆があってこそのパクりであることを知って頂ければと思います(^^)

桑田佳祐の志村けん追悼の内容

「サザンのデビュー曲は『勝手にシンドバッド』って言うんですけど、デビューしてしばらくだまってたんですけど。沢田研二さんの『勝手にしやがれ』とピンクレディーさんの『渚のシンドバッド』をくっつけたってことで、このタイトルは、いかにも僕のオリジナルみたいんなんですけど、このフレーズ違うんですよ。2、3年、だまってたんですけど、しらばっくれてたんですけど、志村けんさん(のネタ)なんですよ。『8時だョ!全員集合』の中で『勝手にシンドバッド!』って言っていたのを、たまたまなにげなく見てまして…面白いなと思って。(曲が)できたときに、まあいいか~、志村けんさんが言っていたあれにしちゃおうと。しらばっくれてデビューしちゃったんですよ」

続けて、

「ドリフの皆さんにはかわいがっていただいた。サザンがデビューした後、よく『8時だョ!全員集合』にも出させていただいて、公会堂とか市民会館とか生放送で…器械体操とか(ネタの)少年少女合唱団という夢のようなあれに出させていただいて…やさしく突っ込んでくれる長さん(いかりや長介)の暖かさ、それをうまく囃して背中を押してくれる加藤茶さん、志村けんさん」

とドリフとの思い出を振り返り、

「このたび残念ながら、憎いコロナなんですけど。勝手にシンドバッドというタイトルのおおもとは、志村けんさんでございます。

ここで、サザンの「勝手にシンドバッド」をバックに流し、

クリのパクリでございます。つつしんで心より、志村けんさんのご冥福をお祈りいたします」。

勝手にシンドバッドが流れた後、

「志村けんさん、ありがとうございました。あまりに偉大で、我々の青春でした。ポップアイコンでした。愛され続けた志村けんさん。志村けんさんがいなければ我々も表舞台に出てきていないと思います」

と志村けんさんに対する感謝の言葉を添え、サザンの「勝手にシンドバッド」を流すといういう粋な計らいをしていました。

 
勝手にシンドバッドは志村けんさんの「パクリのパクりでございます」と話すところが、桑田佳祐さんの志村けんさんに対する感謝と尊敬の意が伝わってきて、そのように堂々と話す姿に桑田さんの全てにおける大きさを感じました(^^)

志村けんのコントネタ – 勝手にシンドバッド

こちらが、当時「8時だョ!全員集合」で披露した「勝手にシンドバッド」です!


コントの中で売れない歌手を演じる志村けんさんが、「次は絶対売れてやる!題名は 勝手にシンドバッド だ!」と言いながら、
沢田研二さんの「勝手にしやがれ」とピンク・レディーの「渚のシンドバッド」の音を交互にコラージュし、音に合わせて踊っていくのですが、どんどん滅茶苦茶になっていくというドリフ的な展開に陥るギャグです(^^)

 
沢田研二さんの「勝手にしやがれ」、ピンクレディーさんの「渚のシンドバッド」は両曲とも1977年に発売され、それぞれオリコンチャート1位を獲得した大ヒット曲。

特に「勝手にシンドバッド」はこの年、当時日本一の歌手の称号である日本レコード大賞を見事獲得した、沢田研二さんの代表曲となっています。

 
当時は、テレビ、ラジオで聞き飽きるほど街中で流れていて、チビッ子達にもお馴染みの曲だったので、そこを狙った、打ヒット曲のミックスで踊るというネタを志村さんは思いついたんだと思います(^^)

これがチビッ子達のツボを見事について、当時大流行のギャグになりました!

 
桑田佳祐さんは、このハチャメチャな志村さんの感覚が、この「勝手にシンドバッド」の曲のイメージにピッタリ合ったんでしょうね、

このサザンのデビュー曲は、歌詞、曲ともに素晴らしくて、永遠の名曲になっていますが、少なからずこの「勝手にシンドバッド」というインパクトある曲のタイトルも大きな役割を果たしていると思います!(^^)

 
ちなみに、こちらが沢田研二さんの「勝手にしやがれ」とピンクレディーさんの「渚のシンドバッド」です。

■沢田研二 – 「勝手にしやがれ」

■ピンクレディー – 「渚のシンドバッド」

ドリフターズと桑田佳祐の関係の真相は?

サザンのデビュー曲「勝手にシンドバッド」は志村けんさんのコントネタがきっかけということで、実はこれには深い裏があるのでは?という噂も挙がっているのですが、いろいろな記事の内容から流れをまとめるとこんなことのようです。

    ■ドリフと桑田佳祐の関係の流れ

  1. 1977年に沢田研二「勝手にしやがれ」、ピンクレディー「渚のシンドバッド」が大ヒット
  2. 志村けんが「勝手にしやがれ」「渚のシンドバッド」をミックスした「勝手にシンドバッド」ネタを披露
  3. 1978年6月にサザンがデビュー曲「勝手にシンドバッド」を発売し、大ヒット
  4. 桑田佳祐のハデなパフォーマンス、キャラに目を付けたいかりや長介の目に留まり、幾度か『8時だョ!全員集合』に出演
  5. ドリフのメンバー1人の脱退の可能性が出てきて、いかりや長介が新メンバとして桑田佳祐をスカウトするも、丁重に誘いを断った

Wikipediaによると、デビュー当時サザンは、本人達にとっては強制的な形で『8時だョ!全員集合』や『スターどっきり㊙報告』などのバラエティ番組にも度々出演し、コントやモノマネなどの芸をしていたと書かれています。

きっとこの頃から、桑田佳祐さんはいかりや長介さんの目にとまり、『8時だョ!全員集合』の出演依頼がきていたのでしょう。

「強制的」という表現が気になりますが、デビューしたばかりのサザンにとっては、少なからず自分達の曲を全国にアピールできるいい機会だっと思いますが、コントやモノマネをやらされるとには疑問を持っていたのかもしれませんね。

 
桑田さんがドリフターズ加入のお誘いを受けていたことについては、1993年のサザンのライブの中で、桑田さんがドリフからスカウトされたことを話しています。

「加藤茶さんが辞めるかもしれないという話があって、お前、面白いな〜、お前らもコミックバンドみたいなものだから、代わりにどうだと言われたんです。丁重にお断りさせていただきましたが」

当時辞めるかもしれないというメンバーは高木ブーさんとも加藤茶さんともいわれていましたが、桑田さんの言葉が正しければ、加藤茶さんということになりますね。

いかりや長介さんからTBSプロデューサー居作昌果を通して、桑田にドリフ加入を打診していたということで、いかりや長介さんが真面目に誘っていたことが良くわかります。

このドリフターズが全盛のときに、いかりや長介さんから声がかかるなんて、桑田佳祐さんはお笑いに対するすごい才能があることを認められたことになるわけですからね、すごいことだと思います。

 
また、ドリフターズはただのコメディアンにしかみられていない部分がありますけど、

実は1966年にビートルズが来日したときに、ビートルズの前座を務めたのが、このザ・ドリフターズ。

楽曲の演奏も本物で、いかりや長介さんも一流のベーシストとして知られていたので、そういう意味では桑田佳祐さんも誘われて嬉しかった部分もあったかと思います。

でも、サザンオールスターズはデビュー曲から大ヒットしたので、桑田さんはドリフに入る気はさらさらなかっと思いますが…

 
ですが、2020年4月11日のTOKYO FM「桑田佳祐のやさしい夜遊び」では、桑田さん、ドリフから誘われたことについて否定をしていました。

いかりや長介さんに気に入られていたことは、やはり事実で、

「サザンがデビューして『8時だョ!全員集合』に出させてもらうことになってごあいさつに行ったら、いかりや長介さんに快く迎え入れていただいて」

と当時を振り返っています。

続けて、

「あの方、一流のベーシストであり、ドリフというのは素晴らしいバンドですから、音楽的なこともすごく理解してくれたんじゃないかと思うんですよね。『頑張れよ』という意味で、いかりや長介さんがサザンオールスターズのことを気に入ってくれていた」

と説明を続け、

「それが転じて、うちの大里(現アミューズ代表取締役会長・大里洋吉氏)が、『いかりやさんが気に入ってるらしいじゃん。サザン辞めてドリフ入っちゃえばいいじゃない』って言うもんだから。ついつい(俺も)調子に乗って、『俺、ドリフに誘われちゃった』って。話を盛るやつが2人、3人と出てきちゃった。俺と大里さんとかね(笑)

と、1993年のライブで明かした内容とは違うことを言っています。

 
どれが、真相なのかはよく分かりなくなってましたが・・・(^^;)

まとめ

いかがでしたか?

志村けんさんが編み出した「勝手にシンドバッド」をデビュー曲のタイトルにして華々しく世間での注目となったサザンオールスターズ。

その後、いかりや長介さんからドリフターズ加入へのお誘いの話があったというのは、とても面白いエピソードですが、どこまでが真相なのかは、桑田さんの4月11日のラジオでの発言により、結局は闇の中となりました…

桑田さんの次なる発言をまた期待したいところです!(^^)

それでは、最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました!