こんにちは、Tomoです(^^)
今日も「Tomo’s Walking Discovery」にお越しいただき、誠にありがとうございます!
今日は残念なニュースが入ってしまいました!
NBAのスーパースター、元レイカーズのコービー・ブライアントさん(享年41)がヘリ墜落事故で亡くなりました。
1月26日午前10時ごろ(日本時間27日午前3時ごろ)、西部カリフォルニア州ロサンゼルス近郊の山に墜落し、全員が死亡した 、原因は不明だとのことです。
彼は現役時代、あのマイケル・ジョーダンと肩を並べるほどのスーパースターでした。
そんなコービー・ブライアントさんの、偉大な経歴について、専門的な要素はなるべく外して、簡単にまとめていきたいと思います。
目次
コービー・ブライアントのプロフィール
- 名前:コービー・ブライアント(Kobe Bean Bryant)
- 生年月日:1978年8月23日
- 出身地:アメリカ ペンシルバニア州フィラデルフィア
- 身長:198cm
- 体重:93kg
- ポジション:SG(シューティングガード)
- ドラフト順位:1996年1巡目13位
- ドラフトチーム:シャーロット・ホーネッツ
- NBAデビュー:1996年11月3日
- 出身校:ローワー・メリオン高校
コービー・ブライアントのの名前の由来は神戸牛
「コービー」は本名ではありません。
コービーは「KOBE」と書くのですが、彼の父親が神戸牛が大好きで、そこからそのまま取った名前です(^^)
この話を聞くと僕達日本人にとっては急に親近感を感じますよね!
そのお父さんジョー・ブライアントさんもNBAの元選手で、ゴールデンステート・ウォーリアーズやシクサーズでプレーをしていました。
コービーもそんなお父さんにすごく憧れて、「KOBE」と名付けたのでしょうね(^^)
コービー・ブライアントののあだ名は「ブラックマンバ」
コービーの特徴は、とにかく勝利への情熱がハンパないってこと。
勝利への情熱が強すぎて、我を通そうとする態度も多く、それを嫌うアンチコービーもたくさんしました。
アンチコービーと呼ばれるだけあるほどの名選手ということでもあるのですが…
その素性から、あだ名は「ブラックマンバ」と呼ばれていました。
ブラックマンバとは、アフリカに生息する最も危険とされる毒蛇です。
まさにコービーにぴったりの最高にカッコいいあだ名ですよね!
敵チームからは、とても嫌がられている選手でしたけど、それも実力があるからであるという証拠ですね(^^)
コービー・ブライアントの経歴
1996年NBAデビュー~レイカーズへ移籍
コービーは、ローワー・メリオン高校を卒業後、すぐ1996年のNBAドラフトで、1巡目の13位でシャーロット・ホーネッツに指名され入団しました。
その後、レイカーズのブラデ・ディバッツ選手とのトレードでレイカーズに移籍しています。
1997年NBAダンクコンテストで優勝!
1997年に早速活躍の目が出始めます。
この年のダンクコンテストで見事に優勝しています。
マタ抜きダンクがカッコいいですよね(^^)
コービー・ブライアントのNBA優勝歴
コービーのチームレイカーズは、2000年、2001年、2002年のNBA3連覇を成し遂げています。
ですが、このときの中心選手は、シャキール・オニール選手でした。
2004年にシャキール・オニール選手がマイアミ・ヒートに移籍してからは、優勝することができませんでしたが、
2009年、2010年に見事エースとして、NBA優勝を成し遂げ、コービー自身も2年連続ファイナルMVPに輝いています!
コービー・ブライアントの1試合81得点!
コービーの20年間のキャリアの中で、特に印象深いのは、
2006年1月22日のラプターズ戦で、1試合でなんと81得点を挙げたこと!
この記録は、ウィルト・チェンバレン歴代2位の記録になりますが、このときのコービーはまさに神がかっていますね!
コービー・ブライアントはオリンピック2大会で優勝!
コービーは、2008年の北京五輪と、2012年ロンドン五輪に出場して、見事にチームを金メダルに導いています。
2大会とも彼の活躍が目立っていたので、コービーなしでは、NBAといえど金メダルは難しかったかもしれませんね。
コービー・ブライアントは引退試合で60得点!
コービーは、2013年にアキレス腱を断裂してしまい、活躍する場が減っていきましたが、
コービーは現役引退試合で、なんとキャリア6度目となる60得点を記録!
コービーがこの試合で記録した37歳での60得点は、ウィルト・チェンバレンの32歳での60得点の記録を48年前ぶりに大幅更新した、“NBA史上最年長記録”となっています。
コービー・ブライアントのスタッツ(1996年デビューから2016年引退まで)
彼はスコアラーとして活躍したので、ここでは平均得点だけを挙げました。
20年も長く活躍して、平均得点の通算が25.0点!
最近日本人で活躍している八村塁選手の平均得点が、13.9年ですから、コービーの凄さがよく分かると思います。
シーズン | 平均得点 |
---|---|
1996-97 | 7.6 |
1997-98 | 15.4 |
1998-99 | 19.9 |
1999-2000 | 22.5 |
2000-01 | 28.5 |
2001-02 | 25.2 |
2002-03 | 30.0 |
2003-04 | 24.0 |
2004-05 | 27.6 |
2005-06 | 35.4 |
2006-07 | 31.6 |
2007-08 | 28.3 |
2008-09 | 26.8 |
2009-10 | 27.0 |
2010-11 | 25.3 |
2011-12 | 27.9 |
2012-13 | 27.3 |
2013-14 | 13.8 |
2014-15 | 22.3 |
2015-16 | 17.3 |
キャリア平均 | 25.0 |
まとめ
いかがでしたか?
簡単ですが、コービー・ブライアントさんの経歴をまとめてみました。
必要に応じ、随時特筆すべき内容は更新したいと思います!
NBAのレジェンドがこの世を去ることになり、非常に残念なことになってしまいましたが、
コービー・ブライアントさんのご冥福をお祈りいたします。
それでは、最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました!